ベセスダに長く関わったスタッフは、『Fallout 76』の困難なローンチは同社の「思い上がり」の結果だと考えているそうだ。
YouTubeチャンネルMinnMaxのインタビューで、ブルース・ネスミス氏がベセスダでの約30年にわたる在職中のプロジェクトについて語った。ネスミスは90年代半ばに『ダガーフォール』と『ターミネーター:フューチャーショック』に着手した後、『スカイリム』、『スターフィールド』、『オブリビオン』、そしてベセスダの『フォールアウト』全作品のリードデザイナーとなった。
そのうちの1本は、ベセスダが慣れ親しんでいるような即効性のある成功を収められなかった。『Fallout 76』のリリースは、スタジオの歴史において特筆すべき黒歴史であり、その評判をほぼ救い上げる改良が施されたにもかかわらず、レビューでの点数も、その周辺に登場した他のすべてのゲームと比べて著しく低い。
ベセスダは過去に数多くの優れたゲームを制作し、ネスミス氏はその一部を担当してきたが、会社の成長と変化についても語られており、『Fallout 76』の時期にマルチプレイヤーゲームへのプレッシャーが高まったことが述べられている。
ベセスダの目標が焦点を欠いていたため、市場への導入も影響を受けました。自己満足感が高まり、絶対的な成功を信じ込んでしまった時期もありました。
単に成功しただけでなく、文字通りのゲーム・オブ・ザ・イヤーもたくさんありました。業界全体が認めたゲーム・オブ・ザ・イヤーのようなものです。自分たちの頭の中だけでなく、この2つの小さな雑誌の中だけでなく、誰もが “これが今年のゲームだ “と言っていた。私たちは、自分たちは無謬であり、自分たちにできないことなど何もないと思い込むようになった。明らかにそれは間違っている。
あまり成功したとは言えないローンチから数年が経ち、ネスミス氏もインタビューに応じた人物も、ゲームの運命がいくらか変わったことを認識している。Fallout 76は何年にもわたって多くのサポートを受け、重要な追加要素によってゲームに関する多くのことが変更され、マップにまったく新しいエリアが追加された。
他にもインタビューでは、ネスミス氏のベセスダでの経験とゲーム業界の進化についての洞察が提供されており、ゲーム制作における課題や変化について語られている。また、Starfieldの開発についても言及され、ゲームの探索と宇宙船の設計などについての課題が議論されている。